退院早々の通院ラッシュで心が疲弊

めちゃくちゃ忙しいです。付き添いが完全に仕事の一部と化しています。私は在宅ワーカーのフリーランスで時間の都合は自分で好きなように設定できるので、それだけが救い。時間拘束のある仕事だったら、即仕事を辞めていたと思います。一度や二度、付き添いしただけではわからないのがこの通院付き添い。うちの義母の場合通院だけでもやることがこれだけあります

  • 前日の声かけと出発時間のメモ書き(忘れていることが多いから)
  • 当日の指示のメモ書き(尿検査だから直前に出し切っていかないようにとか。そこまで細かく)
  • マスクや義母が持っていくもののチェック。服装なども季節感がわからないので、へんてこな格好の時は指導。
  • 出発した後の義母の部屋チェック(テレビやこたつ、電気がつけっぱなしなどザラにあります)
  • 病院で受付・受診のルート案内(義母は当日、何科に行くかすら忘れることがあります)
  • 間違いのチェック(尿検査に行くのに、眼科へ行ったりするから)
  • 看護師さんとやりとり(難聴のため、ひとりでは何もできませんし、時間がかかりすぎて間違えるので、完全にこちらでやりとりします)
  • 受診と先生とのやりとり
  • 会計・薬局への手配(アプリで事前受付して、義母に薬だけを取りに行かせてます。脳トレと運動の一環)
  • 当日の検査結果と、それについての義母へのレクチャー。これの時間がかかる。血圧が高い場合は食事・運動などの指導、血糖値が高い場合は生活の聞き取りと運動や食事方法、服薬の徹底などの指示。
  • 義母の家計簿つけと、次回受診のスケジュールセット。それを義母への伝達まで

以上です。付き添いが必要な人の通院は、だいたいこんな感じになるのだろうな?と思っています。たまに病院で遭遇する、親子だろうなと思われる患者さんとその付き添いの方。会話が聞こえてきたりします。

「次、私の番じゃないのかしら?」

「そんなの、呼ばれないとわからない!黙って待ってて」

「何時間待たせるんだろう・・・」

「仕方ないでしょ?先に患者さんいるんだから。順番だって言ってんじゃん・・・(ったく!みたいな舌打ちが聞こえたような)」

「はぁ〜あ。疲れた」

「こっちもさ・・・まあいいや。とにかくおとなしく待ってて」

母と娘でしょうか。言葉遣いに遠慮がないので、嫁姑ではないはず。妻にこういうことを話すと「何聞き耳立ててるの?」って言われますが、いやいや!あれだけ大きな声で隣でしゃべってれば、聞きたくなくても聞こえるんだって!わかってないなぁ・・・。

最後に娘さんが言った「こっちもさ・・・」で止めた言葉。ヒートアップして大きな声になっていたのを我に帰って遠慮したみたいでした。その次の言葉を私が代弁します。

「こっちもさ、あんたがひとりで通えないおかげで、来たくもない病院にきて一緒に待たされているんだから。あんたが疲れた以上にこっちが疲れてんだよ!」的なことだったのでしょう。

疲れているのは私だけではないとわかって、ホッとする瞬間です。怒り狂っている付き添いの人をみていると、自分のかわりに言ってくれてると感じて、なんとなくストレス発散になるんです。不思議です。

義母が退院してきました

義母が退院してきました。また落ち着かない同居生活が再開します。まあでもだいたい慣れてきたから前回ほどの苦は感じません。避難するためのサブリビングも設けたので、こちらがシンドイときには遠慮なく逃げることもできます。長丁場の介護には介護する側の心のケアも必要だと思います。自分たちの健康は自分たちで守らないと、共倒れだけは避けなければなりません。

それにしても、義母が退院してくると考えただけで、あの顔、笑顔や歩く姿、おどおどした様子などがいちいち目に浮かびました。たぶん心の底から拒否しているのだろうなと思います。これを毎日隠しながら生活していくので、またストレスフルな生活になる覚悟を決めました。

ベッドの空き確認の日と、そのまま2回目の入院へ

今日は先週通院した際、病院側から一度電話をかけてベッドの空き状況を確認してくださいと言われていた日です。

朝電話をかけると、やはり空きが発生していたようで、今日来れますか?とのことだった。今日?・・・いやいや、バタバタして大変だけどもちろん行きますよ!OKです。

「今日を逃すとまた次をまたなくてはなりませんので、入院されますか?」

「します!」

「では準備をしてきてください。午後から受付にしておきますね」

「お願いします」

「今回はまた長期入院になるかもしれないね。様子が落ち着かないみたいだから」

「そうでしょうね」

「ではまた午後に」

急いで入院の手続きセットをもらって帰宅。

義母に入院のことを告げると

「また入院するの?嫌だわ〜」

「でも家に居てもアミダが毎日追いかけてくるよ」

「それが怖いのよね〜」

「病院では、アミダも入れないようにしてくれるから安心だと思うよ。良い治療も受けられるし。早く治したいなら入院して頑張ってきた方が良いと思う」

「そうよね。わかった」

自分が悪徳詐欺師になったような気分です。ちょっとだけ騙している気もします。でも義母にとっても我々にとっても双方WinWinなので誰も困らない。ということで選択肢としてはベストなはずです。ならば詐欺師でも結構なのかなと思いました。

午後から急いで入院。帰りの車でひとりホッとしながら帰宅。しばらくの間ゆっくりとストレスレスな生活ができると思うと、言いようもなく嬉しかった。

義母の精神状態が悪化してきました

朝から、義母に何度も呼び出しをされます。徘徊は治まったものの今度は幻聴で外出も怖くなったようでした。薬を強くした影響からか呂律も回らず、私がイメージするところのまさに、“精神病患者”のようだった。

「外にいるのわかる?聞こえない?」

「何が居るの?私には聞こえないけどね」

「あ!いま、ここの裏にいるよ」

「そうなんだ〜」

「怖くて外に行けない」

「しばらくしたら居なくなると思うよ」

「嫌だわ〜」

こんな会話を毎日繰り返しています。否定しても全く意味はないので、慣れっこになった私はむしろ会話を盛り上げてコントロールします。

「外に居ても、家の中には入ってくることはできないから安心だね」

「わかった。ごめんね変な話をして」

「いや全然。アミダはここまで車で移動してくるの?」

「そうみたい。車で近くまできて歩いてここにくるみたい」

「ちゃん子も乗せて連れてくるのかな?」

「そうだと思う。一緒になって私を攻撃してくるの。家を返せ〜!って。クソババアなんて言うんだよ。アミダに騙されて昔のちゃん子ではなくなったんだよね」

「アミダが悪いんだね」

「そうね〜」

「もう少しするとアミダはいなくなると思うよ」

「そうだね。ごめんね心配かけて」

「全然問題ないよ。落ち着いてね」

妻はこういう会話がはじまると怒り出します。「なに訳わからない話ばっかりしてんの!」という感じに。昔みた自分の母とは別人なのだから、それだけショックなのでしょう。

私は血の繋がりがないので、当然義母の昔を知らないし、それほどの愛着もない分、客観的かつ冷静に義母をみることができます。この感情は介護をする上でプラスになっていると思います。

そもそも。この得体のしれない会話にどれだけまともに付き合ったとしても、解決もしなければ治りもしません。であれば怒ったところで意味があるのか?また真剣に受け止めたとして、この意味不明な会話に終点はないわけで。これまた時間の無駄じゃないかと思っています。だから感情を殺して機会的に処理するのがベスト。

まだほん怖のワンシーンには至っていないので、前回入院前よりはマシです。

精神科を受診することにしました

先日の深夜徘徊以降も、ほぼ毎晩何度も徘徊は続いておりました。もう追いかけもしていません。10分もすると気が済んで帰ってくるので。和室から裸足で出られるのがとても困るので、仕方なく玄関の内鍵ロックをやめました。そうすると玄関から靴を履いて探しにいくようでした。

もう我々にはどうすることもできないので、精神科を受診することに。

「先生、毎晩徘徊するようになって、幻聴もひどくなっているようなのでまた入院させてもらえないでしょうか?」

「あ〜。ひどくなったんだね?」

「毎日幻聴で、取り憑かれたように裸足で外に探しに行ったりする感じです」

「それはダメだね。とりあえず薬を少し増やしておきますので様子をみましょう。本来なら即入院できるはずなんだけど、今ちょっと満床でして、最悪2、3週間かかるかもしれない。なるべく頑張るけど、こればかりは他の入院患者さんの退院待ちだからお約束できないんだよね、申し訳ないけど」

「わかりました」

コロナ下で病床の使用率が高いのだとか。ただでさえ精神科の入院は長期間が基本なので、空きを待つのも一苦労なのだろうなと思いました。

母の場合、人に危害を加えるタイプの病気じゃないので自宅待機ができます。とりあえず待つことになりました。

深夜の徘徊がはじまる

夜中の1時頃。下でゴソゴソと音がしました。どうやら玄関が閉まっているので開けられないようです。外に出ようとしている。諦めて自室に戻っていきました。

でも引き戸を開ける音が何度かします。何しているのかなと?

そう思ってしばらく音だけを聞いていたら、車庫の防犯カメラのアラートが鳴りました。人感センサーが作動して録画が開始するとスマホに通知が入る設定になっています。あ!たぶん出たかも。急いで下に降りて行くと、なんと和室の窓から裸足で外に出たようです。急いで妻を起こしに行きました。

「ったく、なに考えてんだろ・・・」

「仕方ないの」

「イライラする。頭がおかしすぎて」

「そういう病気だから仕方ないでしょ」

確かに妻が言うとおり、なに考えてるのかな?とは思います。恐らく何も考えてはいないのだろうとも思っています。これが病気なのですから。脳の機能障害だから自分ではどうしようもない行動なのでしょう。

妻がまた探しにでかけました。すぐに戻ってきました。近くの公園の側にいたそうです。

裸足で出ていくなんてやっぱり普通じゃ無い。息も切れ切れで帰ってきました。

徘徊後に迷子にはならないけど、義母の意思とは無関係に走ったりするのは流石に危険。いよいよ入院の準備だろうなと感じました。

夜中の徘徊が突然始まってビックリ

日中、義母が何度も外へ出て行って戻ってくるを繰り返していました。必ず戻ってくる距離らしいのでそのまま放置していました。回数がとんでもなく多いので、いちいち止めに行く時間もないので。そして夜9時。義母は7時には寝床につくのでいつもなら少し寝ている時間。起きたとしてもトイレに行くだけです。

玄関ホールに面した引き戸をひく音がしました。トイレに行くのだろうと思っていると、空気が一瞬流れる音がしました。外に出ていったのです。我々も出てみるともう姿が見えません。走っていったようです。普段はすり足でヨチヨチ歩きしかできないような人なのに、まるで別人のように走っていました。実際にこれをみると不思議な気持ちになります。足上げて走れるんだ・・・と。人格が変わって、体も変化したとか?まるでオカルトですね。

妻が近所を探すと家の裏の道路にいました。呼び戻して家に入ると息がきれています。心筋梗塞をやっているので、気が気じゃ無い。倒れでもしたらどうするのだろうか?

「どうして走っていくの?」

「だって、声がするほうに言っても姿が見えないんだもの」

「それは、はじめから居ないからでしょ?」

「そうなの?いるよ?」

「居ないって(何度も言ってんだろぉ〜〜〜!)」

「そうかしら?声聞こえるんだよ」

「それは幻聴ね(あなたの頭だけで聞こえているの)」

「わかんない」

夜中に徘徊されても困るので、玄関から出られないように、内鍵のロックを抜いておきました。

徘徊がはじまりました

妻と買い物から帰って玄関の鍵を開けると既に鍵があいていました。義母がお散歩でもしていたのかな?と思いました。義母の部屋の引き戸が開いていたので中をチラッと覗くと部屋にはいません。

「お義母さんいないけど、トイレかな?」

「そうじゃない?」

トイレの電気を確認すると中にはいない模様。

「あれ?散歩かな?」

「そうじゃないの」

しばらくすると戻ってきた。息を切らしています。何かあったような深刻な顔をしながら話しかけてきました。

「またアミダが後ろの道路を歩いていたの。私の名前を大声で呼びながら練り歩くんだよ」

「ちゃん子も一緒に連れて歩くの。助けてぇ〜って言うから心配になって助けに出かけたの」

「そうなんだ〜」

「大丈夫かしらちゃん子。アミダに利用されているんだわ」

「ちゃん子はこのあたりには住んでいないよ」

「歩いてきたのかしら?」

「50Kmも遠くに住んでいるから無理でしょ」

「歩いてきたって聞こえるよ」

「そうなんだ〜」

「私のこと「お前はゴーボーだぁ〜」って責め立てるんだよ」

「・・・?ゴーボー?・・・(傲慢と横暴の合体だろうね)」

「そう、お前はゴーボーだぁ〜、ゴーボーだぁ〜って」

「嫌だわ」

「嫌だね(幻聴が出ているお義母さんがね)」

今回は、前回の入院とは違うタイプの幻聴のようです。前回の入院では徘徊はありませんでした。今回はじめての行動なので、少し驚いています。もしかしてこの後しばらく続くかなという雰囲気があるので要注意だと思いました。

ゴーボーって・・・お義母さん、ありそうで間違っている単語勘弁して。

幻聴が復活してきた

恐れていたことが起きつつあります。幻聴の復活です。嫌だな〜。またリアルほん怖かなぁ。

「最近、また聞こえはじめたのよ」

「あの声が?」

「そう。お前を監視しているから逃げられないぞ〜(実際にはこの「ぞ〜」が沈み込むように長いです)って言うの」

「へ〜」

「あとは、ちゃん子がそこの近くの公園まできて泣いているの。「母さん」って」

「なるほど〜」

「アミダが一緒になって太鼓を鳴らして練り歩くのよ。近所迷惑になるから、私さっき出ていってやめさせようとしたの」

「外出したの?」

「そう」

「うそ?気がつかなかった(徘徊だな)。義母さん、できればやめて欲しい。行先すらわからないと万が一何かあっても対応できないからさ」

「嫌だわ。なんであんなに大声出して泣き喚かなきゃならないんだろう?」

「(人の話聞いてないし・・・)」

この話をまともに聞いていると、延々終わらないので強制終了しなけらばなりません。義母は幻聴の話をする時は相手の話を全く聞こうとしません。自分の頭の中にある聞こえた言葉をとにかく一方的に吐き出したいのかもしれません。そしてこちらが止めなければ同じことを無限ループします。

もう確定だな!とわかってはいますけど、わずかな望みにかけて治るように祈ります。

介護認定、要介護1へ変更になりました。

先日の認定の結果が要介護1に変更になりました

ありがたいことに要介護1に変更となりました。少しほっとしています。デイサービスなど介護サービスの利用をする際、介護度が低いと単位(介護サービスを利用する際に使える費用です。単位制になっている)も少ないため、たくさん利用しようとすると制限されてしまいます。ですので介護度というのは意外と重要な項目になります。

認定結果には納得しています。

私が今回主張した日常介護での問題についてまとめてみました。

  • 着替えや入浴、食事、排泄など主要な項目での身体介助は必要ない
  • 問題行動が多い。衛生的な問題行動があり、本人に任せられない部分をこちらで行っている部分が多くなった
  • 作話が非常に多い。妄想性障害の影響かどうかわからないが、物が盗まれたや、聞いていない、聞こえていないことを自分の想像だけで勝手につくり上げていくので、真偽不明のためコミュニケーションに非常に困難が生じている
  • 筆談が増えている
  • 食事の準備はすべて介助している
  • お風呂で溺れて救急車を呼んで以来、単独の入浴では浴槽に入れていない。合わせて入浴時間のチェックを行なっている。

などでした。体はピンピンしているけど、精神的な問題で正常な判断ができず、その部分を補う介助が必須化しているということを訴えました。

しかし・・・。私個人が感じている介護への負担は正直もっと重いものです。ひとりで在宅させると、次から次と勝手にものを触って、壊したり移動したりします。食べ物もそうです。衛生観念がほぼ皆無なので、味噌なんかスプーンなどですくって使うはずだけど、そのスプーン舐めたヤツじゃないよね?とか考えてしまいます。鳥肌ものです・・・

次回の認定調査まで、どんな問題が出てくるのでしょうか?また記録をつけていきます。

2回目の要介護認定調査の日

一度目の介護認定は昨年、入院前に調査を受けていました。その時は要支援1でした。その後退院を経て現在までの生活の中で明らかに前回の認定が現在の母の状況と解離しているとのアドバイスをケアマネージャーさんから指摘されていました。というわけで再調査をしてもらうことになったのです。

前回の調査の際は、義母が入院中でしたので、主治医の見解をベースに、病院で義母との面談を行っただけで、我々への聞き取りは行っていません。当然義母との同居もスタートしていなかったわけですから、その時の要支援1の認定は妥当だったのでしょう。

要介護認定で何を見るの?

これが全くわからないんです。事前にチェックシートなども必要ありませんし、こちらが記入するものも何もないです。ただ、市の職員、恐らく委託の専門員だと思いますが、その方が来訪されて持ってきたチェックシートに聞き取りしながらチェックしていくだけ。もちろん、補足記入もありますので、例えば家族から困っていることの訴えがあればこれを記入してもらえます。

これ、私が誤解していたことですが、日常生活が困難になる、つまり他者の介助を受けないと生活が成立しないという場面は、身体が不自由だからという理由だけではないということ。例えば難聴で補聴器をつけていてもほぼ聞き取れず、病院から「必ず付き添いをつけて御来院ください」という、付き添い必須の条件を出されたりするのですが、この場合体には何も問題がなく自分ひとりで通院できたとしても、実際には介助必須ということになりますよね。なので、この場合は要介助という扱いが成立すると思います。認定調査ではこういう部分もしっかり聞き取りしてもらえます。

大きく2つの要素をチェックします

  1. 身体的不自由のチェック
  2. 精神面のチェック(主に認知症を重点的にチェックするものだろうと感じます)

この2点が特に重要視されるようです。なぜわかるかと言うとチェックシートの質問がほぼこの2つを確認するものだからです。

まず身体面の調査としては、

  • 自立して生活ができているか否か
  • 食事や排泄、入浴、着替え、日常生活にどのくらい他者のサポートを必要としているか

次に精神面の調査。

  • 物忘れ、日時や季節などが理解できるか
  • 作話(作り話)の有無
  • 記憶についての確認など

「日常の生活について前回調査から変わったことはありますか?」

「あります。ひとりでできることが大幅に減っていると思います」

「具体的には?」

「体がさらに不自由になったので、入浴や寝起きに支障がではじめています。具体的には自分でおしりを洗えない・拭き方が不十分とか、布団につまずいて転倒することが多くなっています」

こんな感じで調査は進みます。

介護認定のために準備しておくべきこと

特に裏技というようなものは存在しません。偽りの申告をするとかご法度ですので、介護者と被介護者のありのままを伝えることがベストです。実はここで介護初心者の多くの方がミスを犯していることがあるようです。私はこのしばらく前に、認知症の親を介護した苦労を話す茶話会に参加していたため、認定調査の時にやっておくべき大事なことを教えてもらっていました。

やることはひとつだけ。

  • 毎日の介護の記録をつけておく

これだけです。私の場合はスマホでGoogleカレンダーを使っていますので、毎日のタスクに「(メインの出来事)」として、あったことすべてを記録しています。例えば「病院に行ったときにお漏らし」とか。病院でも、外出先でも、仕事の合間でも、休みのときでも。その場面で起こったことはもちろん、思い出したことなどもいつでもどこでも記録します。長文でも全然余裕ですからとても重宝します。

なぜ記録が必要になるのか

暗記力が抜群で、まるで辞書のようにスラスラと対応項目に合致した情報を瞬時に引き出せる天才的な頭脳をお持ちの方には必要のないことですが、私の場合記録を確認しないと、時系列、出来事、その詳細がパッと出てくることはありません。漠然とは出てきますが、調査員さんから毎回指摘される「具体的には?」という言葉にしっかりと答えられません。的確に答えられるように、記録は必要だと思います。

介護認定、実は“介護する側の困っている度”認定だと思う

認定調査には、本人確認という項目もあります。これは家族が訴えている介護の現状が、本人の現状と合致しているかの確認であると思われます。それはそうですよね、家族が「ほぼ寝たきりなので」なんて言っておいて、本人に会ってみたらお菓子を食べて椅子に座ってテレビをみていた、なんてことはあってはならないことなので。虚偽がないか、家族の主張が正しいかは重要なチェック項目なのだと思います。

これを踏まえてよくよく考えてみると、介護認定って一見、被介護者本人の様子をチェックするのが主として見えますが、実際には介護する側(家族)が「毎日の介護でこのくらい苦労しています」の度合いをチェックしているものだと思います。

私が考える、やってはいけない認定調査での主張

私が考える、やってはいけない介護認定調査での主張。それは大目にみること、隠すこと、美化することかなと思います。

例えば、たまに食べこぼしをする程度の場合、まだまだうちの親は大丈夫!とか、こんな程度で介護のお世話になってはいけないなどという気持ちが働く方もいらっしゃるのかなと思います。ですが、介護は子育てとは真逆です。子供は成長しますが、老人は退化していくだけ。まだまだ大丈夫が、数ヶ月後に一気に悪化しているなんてザラにあるはずです。そうなったときに困るの誰ですか?という話だと思います。

私は、たった一回でも問題が出た事柄を主張しています。外で大便のお漏らしをして、それを本人が隠していたので発見したときに大変苦労したと。それはたった一回だったけど、ここには大きな問題がたくさんありますよね?

  • 大便を漏らすということは、便意の判断レベルが衰えているのではないか?
  • やった後に隠して、汚れたままの洋服で診察を受け、病院の椅子に座っていた。
  • 一大事だということを、隠すという判断をしたことの問題

これって、ただの子供のお漏らしとかではないです。長い人生を生きてきた人が、常識的に考えてやってはいけない行動を取り続けた。これは十分に介護度に関わってくることなんだと思います。

介護認定を下すのは調査員の調書を元にした認定審査会のお仕事です。介護者側としてはそもそも認定基準すらわかりませんし、結果が出れば我々はそれに従うまで。逆に言えば我々はありのままの介護の苦労を主張することしかできないので、それを隠したり、遠慮する必要など全くないということになりますね。

義母、糖尿病内科の日

糖尿病内科の定期受診の日です。私、正直糖尿病については全く理解もしていませんでした。血糖値がいつも高い病気。その程度の理解でした。

義母の通院付き添いをやっていると、否応なく糖尿病についての先生のお話を聞くことになるので、最近少しづつですが知識が増えてきました。

「数値が不安定ですね」

「はい」

「お薬ちゃんと飲んでいますか?」

「飲み忘れはないようですね」

「食べ物には気をつけていらっしゃいます?禁忌は守っていますか?」

「お菓子や加糖飲料は飲んでいません。ビタミンK類も食べていません」

「それでこの数値ですか〜。毎回、バラツキがあるのでコントロールが難しいんですよね〜。難しいですね〜」

「特に変わったことはしていないと思います」

「他の薬なのかな〜。強くすると効きすぎる時があるし、反対に強くしても効かない時があるので、非常に難しいんですよね」

「どうなんでしょうか〜」

「今回も薬を調整しますね」

「よろしくお願いします」

このようなやりとりを、難聴の義母に変わって私が行います。

義母の糖尿病の診断をする上で先生がよくお話になる数値は、血糖値とHbA1cの2つのようです。母は平均して血糖値250、HbA1cが7を超えることがほとんどです。目標範囲で言うとHbA1cを6%前半にしておきたいということで、月1程度で検査通院をしています。

義母の検査は、血液検査と尿検査が必須でして、だいたい朝8時25分頃には病院に着いています。そこから内科の受診が始まるのが早くて11時頃です。1番時間がかかった時は12時半でした。診察予約を入れておいての4時間待ちですから、このくらい待ちが長いと流石に待ち疲れをします。それは義母も同じのことでしょう。もう80歳手前の人が、病院の座り心地の悪い長椅子でこんなに待つなんて、本当に大変。だから健康でいようと多くの老人たちは運動したり食生活に気をつけて健康維持をするのでしょう。それは賢明なご判断だと思います。

義母のマナー。一般常識?空気読めない?

私ってマナーどうやって覚えたかな?と思い出していました。子供の頃にも親から教えられたし、その後、学校教育や地域の活動、もちろん社会に出てからもたくさん学んできたと思います。

義母の行動をみていると、どうも???なところが多いです。確か中学校卒業って言ってたけど、その後会社で働いていたとも聞いていましたし、家庭を持ち子供を教育してきたと思いますので、人に教える立場を経験してきたのであればそれなりにマナーというものを覚えてきたのではないかと思っていました。実際、妻のマナーはごく普通なのがその証拠だと思います。

最近義母の様子をみていると、私が学んできたマナー、一般常識、または空気を読むとか言いますけどそれとは少し違った行動をとることが多くて。その度に「え〜、マジで?」ということが多くなってきました。

私が戸惑った母の行動

  • エレベーター。降りる人先ということがマナーと思っていましたが、義母はドアが開いたと同時に乗り込む
  • ビニールなど、口が開けられないものがあると、指をペロりとして開ける。その指は洗わないし拭かない。
  • ティッシュ。鼻をかんだり目ヤニをとったりしたものを、黄ばむまで使い回す。そして衣類にポケットがついていればそこに入れる。
  • テーブル布巾で床を拭く
  • 砂糖などがついたスプーンをペロッと舐めて、そのまま洗わない
  • 手を洗うという習慣がとにかくない。ゴミや土、排泄終わりに触った手すら洗わない

これらは公共スペースや家の中とか、他人が絡んだスペースで行う問題行動の一部です。他、細かいものは忘れてしまうほど大量にあるので割愛します。ちなみに、他人が絡まない、自分だけのパーソナルスペースで行う問題行動もありますが、これを言い出すとキリがないのでやめます。

行動は変えられるものもある

よく「長年染み付いた癖」とか言いますよね。だからやめられないのだと。しかし、やめられるものもあるようです。

私が義母にやめてほしいことをお願いする際、いつも心がけていることがあります。

  • やめて欲しいことを明確に、しっかり伝える。「これをやめてほしい」と伝える
  • やめて欲しい行動について、この行動をするとどうなるのか?をしっかり伝える。「手を洗わないと、その汚れた手で後から触ったものがどんどん汚れていく」など。
  • 必ず理由を伝える。「エレベーター。先に降りる人を優先しないと、降りたい人が困るから」とか。「テーブル布巾で床を拭くと、次にテーブルを拭くときは床の雑巾で拭くことと同じことになって、気持ち的に許せないから」とか。遠慮せずに「嫌だ」という意思表示をしっかり伝える

これらを心がけています。やりはじめた当初、毎回「注意があります」からスタートする話に、義母が身構えていたことを覚えています。今は普通に聞いてくれます。おそらく行動についての問題点とやめて欲しい理由がセットだからだと思います。これは、ただの悪口や批判ではありません。「エレベーターは降りる人が先なんだ!覚えとけ!」なんて言ったら、聞く方も攻撃されただけと捉えますよね。「なんだその言い草は!」となります。これでは絶対に伝わらないです。

偉そうなことを説明してみましたが、義母の現在の様子は注意した数週間は気を付けるけど、そのうち忘れてしまいます。その都度また同じ注意を行います。この繰り返しです。エンドレスな感じはありますが、やらないよりはマシ。介護って本当に大変だと思う瞬間です。

マウスピースを捨てちゃった義母

前回の歯科点検以降、義母の歯の治療がスタートしていました。抜歯が必要だったため、紹介を受けて現在通院している大学病院で治療を行うことになりました。血栓を予防するための薬を使っているので、出血が止まらないからだそうです。

案の定、抜歯の度に歯茎からの出血がなかなか止まりません。びっくりするほど止まらないようです。場合により縫合も行うのですが、母の場合縫合してもなかなか止まらない。綿球というのでしょうか、まんまるの綿を噛んで処置を終えてきました。

「今回縫合しました。処置した部分を保護するためにマウスピースを入れておきました。おうちに帰ってからもマウスピースはそのままつけていてくださいね。今噛んでる綿は血が止まったら捨ててもらって、新しい綿に交換してください」

「わかりました」

これで帰宅。病院でわかったとは言ってたけど、恐らく義母はわかってないとすぐに気がついた。義母がわかっていない時の顔はもう把握しているので。

「言われたことわかった?」

「今歯に入れているもの、血が止まったら捨てて交換するんでしょ?」

「綿だけね。今噛んでる丸い綿だけだよ。マウスピースは捨てないでね」

「マウスピース?」

「透明なやつ。それ。」

「これね」

「わかった?」

「うん、わかった」

「綿だけ捨てるんだよ?」

「大丈夫、わかったわ」

そんなことで翌日。洗面所のゴミ箱をみたら、マウスピースが捨ててあった。そして母から

「朝ごはん食べたけど、食べ物噛むと昨日の治療した部分痛いのよね〜」

「マウスピースはどうしたの?」

「マウスピース?」

「口に入れていたやつ」

「あ〜捨てたよ。だって捨てて交換しろって言われたやつだよね?」

「それは綿だけね。昨日言ったじゃない・・・」

「そうなの?」

「・・・(このバーカ)」

予想どおりの展開でした。ちなみにこの会話、血が止まったら綿だけ捨ててマウスピースは捨てずに残すという、義母にとっては1番苦手な条件付きの行動だったため、筆談も交えて説明しました。それでもこの結果だったのでした。

知能のレベルがヤバい

健康保険証が盗まれたと義母の訴え

義母の健康保険証が見当たらなくなりました。確か直近で使ったのは義母が歯医者へ通った時だったよなと思い出しました。歯医者だけは義母ひとりで通えるようになっていました。

「お義母さん、自分で保険証使ったよね?」

「そうなのよね。どこにやったのかしら?」

「渡した保険証袋に入れなかったの?」

「入れたと思ったんだけど」

「バッグの中は?」

「探したけどないの」

「落としたとか?」

「わからない」

こんなやりとりをしました。これは日常茶飯事だったので、毎回注意していたがまたしても物忘れ。義母の悪いところは、同じところに物を戻さないところ。これは義母に限らず物をよく無くす人の典型的な悪癖なんだと思います。決まったところに戻す。これで物の紛失は減ります。そんなことをしていたら義母が突然

「たぶん、大工さんじゃないかしら?持っていったのかも」

「は?」

「ここ何回か出入りしてたから」

「リフォームしているからね。そりゃ出入りするよね」

「さっきここにいた人だと思うんだよね」

5月のGW明けから、我が家でリフォームがはじまっていました。そのため工務店さんが出入りしていたのです。

「・・・あのさ。そういう根拠のない話はやめてくれない。だいたい大工さんが今二階にいるのに、聞こえたら失礼だと思わないの?証拠もないのに泥棒扱いするわけ?だいいち、あなたの保険証盗んだとして、何に使うの?意味ないじゃん」

「だって・・・」

「だってじゃないから」

「あらそう?」

「もう一度探すから。泥棒扱いとかするって良く無いよ」

「わかった」

内心「お前が失くしただけだろ」と思っていました。義母の押入れを探してみました。いつも使っているバッグのポケットをもう一度探す。あれ、あるじゃん!

「あったよ」

「え?どこに。良かった〜」

「バッグにあったけど」

「誰の?」

「あなたのに決まってるでしょ!他に誰のバッグがあるのよ」

「ごめんね〜」

「謝るなら、疑った大工さんに言って。自分の物忘れを棚にあげて人を疑うなんて、人として終わってるからね。やめなさいよそういうの」

「そうだね。なんか私オカシイよね」

今頃気づくな。一件落着でした。