義母の受け入れ準備のための家族会議

介護というのが、どんなものかを理解していません。それよりも義理の親との同居自体を想定していなかったので、私としては介護以前に同居の方が大問題です。受け入れに伴って、我が家の体制も大きく変わることが予想されました。想定していた懸念材料を挙げてみます。

  1. 部屋をどうするか。リフォームが必要になると想定
  2. 日中の見守りや通院、義母の生活全般の管理をどのように分担するのか
  3. 義母が、どのような状態で退院してくるのかがわからないので、最悪、目が離せないような場合、介護施設などの段取りをしておかなければならない
  4. 実家を閉鎖(売却)するので、親戚筋近辺への周知を行わなければならない
  5. 義母の資産管理を行わなければならない
  6. 義母が必要な道具の購入、現在使っていたものを実家から引き上げ

想定していたのはこのような感じ。我が家で最も懸念していたのは、1の部屋のこと。義母は入院前から既に足取りがフラついていましたので、2階生活は無理だろうと。そうなると和室。だけど和室は元々ほぼ使わないけどとりあえず作ったような部屋。ここに落ち着けるような部屋にするためには、テレビの設置や布団や衣類などを機能的に収納できるスペースが必要になってきます。リフォームしかないなと。

また、外構もそうです。確実に来客が増えることが想定されますが、我が家は駐車スペースがショボすぎる。これを拡張することが必要でした。それとアプローチがデコボコすぎるので、摺り足の母用にフラットなものに改装する必要がある。玄関手すりも必要。ということで、リフォームは決定。

2の通院や見守りについては、本当に偶然ですが、私がフリーランスかつ在宅ワーカー(事務所兼自宅で成立する職業)なので、これは特に問題なしかと。私がメインで介護+生活全般+通院などを担うことで大筋合意。

3ですが、これは誰にも想定できないので、一旦考えないようにしました。成り行き任せというやつですね。

4は行いました。親戚筋は既に実家の状況を把握していたようで、むしろこの決定を好意的に受け止めていただいたような感じです。

5は私が担当。我が家の家計自体を私が管理していますので、この延長で母のものも行うことに。と言っても。愕然とするほど何も残っていない状況で我が家にいらっしゃったので、管理するものすら無いと言ったところでした。無駄な出費だけはあったりして、そういうものの解約やら変更に追われた感じです。

6は行いました。それほど負担ではなかったです。私もこれから高齢になった時、こんなにも自分の荷物がなくなるのだろうか?と思うほど、持ち物というものはほとんど無い状態でした。でも当然と言えば当然かもしれません。こちらの家の都合に合わせて家電・寝具など新調した方が良かったので、そうした結果ほぼ問題はなかったということです。

ここまではまずまず順調に進みました。

実家の売却に関わる大きな問題と解決策

義母の住んでいた実家なので、本来であれば義母の名義の土地を売り、売却益を義母の口座で管理すれば良いという単純な作業だけなのでしょう。しかし今回はそう簡単には行かないようです。なぜなら、義母の大失態があったから。詳細については、以前書いた日記で説明しています。

だからあれほどやめたらと忠告しておいたのに。だいたい、自分がまだ生きているのに、全部の権利を子供に託すなんて。子供と言ったって、もう立派な成人なんだし家族もある。考え方だって子供なりにあるだろうと想像できそうなもの。なぜ、自分の子供だから自分の言いなりになると思い込んだのだろうか?アホだなと。

結果、万が一のことが発生してしまい、我が子にまんまと裏切られた訳です。

本題に戻ります。売却にあたって大きな問題というのはまさにこの問題で、義母の介護や家督を一切放棄して、勝手に家出をしていったちゃん子夫婦に土地建物の名義があるということ。法律上、義母にこの実家を売る権利などありません。どうするか?ここがとんでもなく大問題なのでした

まず、我々とちゃん子夫婦の関係について、現状把握です

  1. ちゃん子夫婦とは連絡はとれる
  2. ちゃん子夫婦は、家督を継がないと決め、我が家にその一切を移譲すると言っている
  3. 実家と義母の面倒を今後もみる気はないので、全てを放棄する意思がある
  4. ちゃん子だけ、実家の権利が自分にあるので、許されるのなら自分の子供に残してあげたいと言っている

このような状態です。この時点で難航しそうなのは4の部分だけでした。そのため、このあたりの認識を再確認するべく、話し合いを行いました。

結論としては、2と3がある以上、4だけが守られるということはないと伝えました。ちゃん子自身も、そこは理解していたものの最終的に我が子の今後にという気持ちが少しだけ邪魔していたようです。

正直に言えば、どのツラ下げてそんな身勝手なこと言ってるの?という感じ。「実家を快く譲って頂いたので、お義兄さんたちに面倒をかけないように、実家と義母の面倒はしっかりこちらでみていきます。安心してください」と、義父の葬儀の後と、義父の実母の葬儀の時の2度、わかめ君からこんな話を聞かされたことを記憶しています。ちなみに、祖母の葬儀の際などは、既に義母が義父の遺産を使い果たしていたようで、金欠だったため我が家に葬儀代を貸してくれと頼まれた後でした(その際は貸さずに、香典として葬儀代の半額ほどを包みました)

そういう状況の人たちから、安心してとか、任せてなんて言われても・・・信用なんて全くできるわけないじゃん!と内心感じていました。

子供に残してあげたいと本気で思うなら、なぜ義母を捨てて自分勝手に放棄していった?なぜその時我々にひとことも相談しなかった?挙句、売れたら子供にお金をくださいと?義母の介護がこれからどれだけ続くのかわからないし、どういうレベルの介護になるのかわからないし、それにどのくらいの費用がかかっていくのかもわからない。そういう相手に全部丸投げしておいて、自分の子供にはお金を残したいだと?ジコチューもほどほどにしておけ!と思いました。

こうして、実家の売却についてはちゃん子夫婦の同意を得て、代理売買の契約をとるまでこぎつけたのでした。

ちなみに、この間の不動産業者との折衝の手間。実家の固定資産税の滞納分、公共料金の滞納分などはすべてこちらで立替を行いました。ありがとうございますのひとことも無かったな。なんで他人名義の固定資産税をこちらで立替なきゃならないのかな?と。ちゃん子夫婦もそう思わなかったのだろうか?売却したらそのお金で賄えということだろうか?

こんなにコケにされた気分になったのは久しぶりでした。

実家を整理する準備に入る

入院前、義母とは今後のある程度の方針と言いますか、身の振り方を話しあっていました。義母の中で決心していたことは、実家にはもう戻りたくないということ。正確に言うと実家の”周辺”に戻りたくないということのようでした。

我々も既に家は持っていますので、我々がそこに住むという考えはありません。他の選択肢としては、

  • 売却する
  • 賃貸にする
  • 駐車場など、投資にまわす

まず賃貸。築60年以上の古家で、接道も狭いのでお世辞にも好条件な物件ではありません。公共交通機関のアクセスもめちゃくちゃ悪い。かと言って、100坪を超えるそこそこ大きな土地なので、固定資産税など維持管理も含めるとそんなに安売りするような条件は出せないだろうなということ。自分たちが借りたいと思わないものは、他の人も借りないよなということでこれはすぐに候補から消えました。

次に投資物件として管理すること。これも少し考えましたけど、賃貸と同じ理由で、あまり良い立地条件ではないものに、例えばアパートなどを建てたとしても、どのくらいで回収できるのだろうか?ということ。部屋が埋まらなければプレッシャーになるだけですし。よってこれも候補から脱落。ということで消去法的に売却しかなくなりました。どうせなら早く売った方が無駄な維持管理もしなくて済みます。というわけで早速実家の売却に向けた整理に動くことになりました。

介護って、単純に人の面倒をみるだけではないところが手間がかかるところだと思います。介護する人が背負ってきた人生そのものを引き継ぐようなものだなと、この時少しだけ感じました。

突然、介護をする側になってしまった

正直、全く想定していなかったことが起こりました。まさか親の、しかも義理の親の介護をすることになろうとは夢にも思っていませんでした。なぜこういうことになったのか?ということを説明しなければと思うのですが、混み入った話でわかりづらくなるので、努めて簡単にします。

元々、義母は義父と義父の実母と3人で実家暮らしをしていました。そこに結婚して出て行っていた妹(以下ちゃん子)が妊娠したのをきっかけに、実家に戻ることになったようです。

事実関係はいまだに謎なのですが、ちゃん子側の話では、当時ちゃん子の夫(以下わかめ君)が良くて週に1度程度しか家に帰って来れない仕事に就いていたので、ちゃん子の生活を見兼ねた義母が実家に呼び寄せたということ。一方、義母側の話ですと、ちゃん子が生活に困ってしまったので、勝手に実家に転がり込んできたということでした。どちらが本当なのかわかりませんし、どうでも良いですがとにかくそういう経緯で3世代同居がスタートしたようです。

元々、わかめ君は婿養子として実家に入ったようで、我々としては、同居をはじめたことに違和感はありませんでした。ゆくゆくは家督を継ぐ意思があるのだろうと。事実、義父が亡くなる直前には、養子縁組の話まであったということですから(この話は、直前で義父がわかめ君に不信感を抱いたのがきっかけで破談となったそうです)

やがて義父が他界、その数年後に義父の実母も他界しました。結果ちゃん子夫婦とその子供、義母での4人暮らしになりました。義父が亡くなった時点で、義母が禁じ手を行います。土地建物を生前贈与でちゃん子に譲ってしまいました。

「おかあさん。権利を生前贈与(我々の場合は、遺産分割協議)するということは、デメリットの方が大きいから止めた方が良いよ。もし万が一があったらおかあさんにこの家は戻ってこないからね」

「どく君の話はわかるよ。もしちゃん子に裏切られても、その時は諦めるから。これは私の決定だから、あなたたちがなんと言おうとも変わらないし、文句は言わせないからね。面倒をみるのはちゃん子たちなんだから、あんたたちには口出しさせない」

というようなものでした。この時の義母の威圧感が凄かったことを今でも覚えています。我々がとやかく言いすぎるのも嫌でしたし。実家のことに我々が踏み込みすぎると、財産目当てなのか?的な不信感を抱かれるのも迷惑だったので。と言うわけで、不本意でしたし、不安しかありませんでしたが義母の言うとおり、この生前贈与に同意したわけです

ここから負のループのスタート。面倒なので時系列で箇条書きにします

  1. 実家がちゃん子名義になった
  2. 義母がわかめ君に不信感を抱くようになった
  3. 偶然郵便できた土地売却のチラシに、義母が反応し、ちゃん子たちが家を売ろうとしていると疑心暗鬼
  4. そこから数年、ずっとそのことをちゃん子に愚痴る
  5. ちゃん子の持病が悪化
  6. 義母がわかめ君に暴言を吐いたことが発端で、わかめ君がちゃん子と子供を置いて家出
  7. わかめ君はもう実家には戻らないと宣言。ちゃん子は家族が壊れたのは義母のせいだと義母を糾弾。その後、義母とちゃん子の間で紛争勃発
  8. 義母は「権利書を置いて家から出て行け」とちゃん子に詰め寄り、ちゃん子は「お母さんが出て行って」というような押し問答が続く
  9. ちゃん子が家を出て行った
  10. しばらくして義母に異変が起き、現在に至る

こういう経緯を経て現在に至ります。ちなみにこの話は双方から断片的に聞いた言い分を元にまとめてあります。典型的な遺産相続のトラブルですよね。

だからあれだけ言っただろ!って思いました。裏切られて良くなかったんじゃん?カッコイイことなんていくらでも言えるんだよ。本当にこう思いました。だって、この火の粉が我々に飛んできたから。いい迷惑ですよね。

義母の人物や病気について

先日、入院することになった義母について話してみたいと思います。

義母の基本情報

  • 70代後半
  • 155cm/40kg程度。痩せ型
  • 夫(私からすると義父)(8年前に他界)
  • 趣味:食べること・テレビを見ること
  • 性格;温厚
  • 長所:滅多に怒らない。常にフラットな感情なところ。人の世話を焼くのが好き
  • 短所:天然ボケ・不衛生・余計な一言がとても多い・奇行

私からみた義母はこのような人物だと思います。同居する前の印象は、温厚な人柄で、天然ボケだけど悪意がない人という感じでした。同居後も義母に変化はありませんが、私の主観だけが180度変わっただけです。この話は追々していくことにします。

義母の病歴

  • 妄想性障害(通院・治療中)
  • 糖尿病(通院・治療中)
  • 関節リウマチ(通院・治療中)
  • 難聴(定期検査で通院中)
  • 心筋梗塞(通院中・年1回の定期検査)
  • 歯肉炎(治療済みで定期検査で通院中)

この中で、特に影響があるものは妄想性障害だと思います。他の病気については、治療・対処をすればどうにかなるものですし、周囲に大きな迷惑がかかるような病気ではありませんので。ただ、精神疾患だけは違うんですね。これは本当に厄介ですし、周囲も振り回されるということを、身を以て体験することになりました。病気の話についても、介護の日記上で嫌というほど書いていくので、追々お話していきたいと思います。

義母が入院することになりました

朝。義母が起きてきません。部屋を見にいくと、髪はボサボサ、下着姿のまま部屋の片隅でブツブツと何かを口ずさんでいました。

「お前が悪い〜。お前が悪い〜。〇〇〇〇〜1-2-3、〇〇〇〇〜1-2-3(〇〇は義母の実家の住所)」

呪文というか念仏というか、同じことを繰り返し何度も何度も小さな声で呟いています。
これ、めちゃくちゃ怖かったです。全盛期のほん怖のワンシーンのような怖さ。振り向いたら目が真っ白なんじゃないのか?と想像するほど、表現のしようがない不気味な後ろ姿でした。

これはマズいぞと。すぐにこのまま放置してはいけない状況だということは理解できましたので、病院が開くと同時に先日の精神科へ相談をしました。再度診察をするとのことだったので急遽病院へ向かうことに。

「ひどくなりましたか?」

「部屋の片隅で震えて呪文を唱えているような感じでした。こちらの問いかけにも反応が薄いです」

「(先生)大丈夫ですか?」

「(義母)・・・・・」

「入院しましょう。長くなると思いますので、早速準備をお願いします。それと入院後になりますが、精密検査を行うことになります」

結局、義母はこのまま入院することになりました。私は内心、入院できないとなったらどうしよう!と本気で考えていたので、義母の心配よりも先に、自分たちの不安が取り除かれたことに安堵していました。
もしも夜中に起きたときに、真っ暗な部屋からつぶやきが聞こえてきたら、恐ろしくて眠れませんから。

本当に入院できて良かった。

義母の様子がおかしくなった

先日の通院後も、幻聴はあったりなかったりの繰り返しでした。お薬の効果でしょうか、夜中にわずかでも寝ることができるようになったようです。しかし依然として全く聞こえなくなったわけではないようで、綱渡りな感じで生活を送っていました。

そんな中での出来事。私が仕事の打ち合わせから帰ってくると、日中にもかかわらず部屋のカーテンが全て締められていました。今朝は確かに開けていったのに。家に入ると母がキッチンの片隅に隠れていました。

「外に誰かいる。こっちを睨みつけているの・・・」

これは困ったなと。どうやら悪化しているようでした。幻聴というか、妄想というか。こういうのどう説明したら良いのかわかりませんが、「何かを感じる」ということらしいです。

この時、悪化しているな!と思いました。

義母を精神科へ連れて行くことに

昨日から義母の面倒を我が家でみることになりました。今日の午前中に妻が休みを取れることになりました。手分けをして作業をすることに。妻は実家から義母が使うだろうものを持ってくる担当。私は義母を病院へ連れて行く担当です。病院は義母がかかりつけの大学病院が良いだろうということで、妻が事前に予約を入れてくれました。

大学病院の精神科へつきました。義母は不安そうな様子。と言っても、義母の不安は我々が思いつくような「どんな病気なのだろう?」とか「何か重い病気なんじゃないだろうか?」の種類ではなく

「なんか、アミダが着いてくるんだよ。そこらへんに居るの」

こっちの不安だったようです。

このアミダというのは、阿弥陀様のことだと思います。擬人化されてます。義母の話によると、アミダという人物が居て、彼には奥さんと子供二人がいるそうです。隣のアパートに住んでいたと。彼らが義母に様々な悪さをしていたと。簡潔に言うとこういう話だそうです。

義母の不安というのは、このアミダが付きまとってくることだそうです。自分が病気だとは1ミリも思っていませんので、それは当然なのでしょう。だから病気が怖いとかではなくて、病院まで着いてきて、太鼓を鳴らして義母の名前を大声で叫んでいるのが恥ずかしいとか、恐ろしいとか。そういう恐怖を感じていたそうです。

私から言わせれば、こういうことを真顔で話す義母の方が100倍恐ろしいのですが。義母の診察の前に、一通りの事前検査がありました。同行できなかったので詳しくはわかりませんが、頭部CTや血液・心電図などの検査を行なったようです。持病は糖尿病と心筋梗塞(発症前に発見したので、現在治療中)、リウマチを抱えています。その関係で血液検査なども行なったのかな?と思いました。その間に妻が合流しました。そして義母の診察がはじまりました。

「どうされましたか?」

「声が聞こえると訴えています」

「どのような?」


私たちは、今まで義母から聞いてきた”聞こえる声”のことを先生に伝えました。

「幻聴ですね。原因はいろいろあると思いますが、今のところはこれだという判断はできません。若い頃、統合失調症などの既往はありましたか?」

「恐らく、無いと思います」

「そうですか。もし、お母さまがもう少し年齢が若くてこの症状で来たとすれば、統合失調症という診断になるのかもしれません。ただし、年齢からして今発症したのであれば、妄想性障害というような感じなのかもしれません」


「とりあえず、同居の方への危害や、ご本人の錯乱のようなものもまだ無いようですから、投薬を行って様子をみるという方法になると思います。それでも改善しないようでしたら、入院して治療するというような流れになるかと思います」

診察が終わりました。処方箋を用意されて帰宅することに。だいたい想像していたような病気だなと思ったことを覚えています。私的には認知症とか鬱とかなのかな?という素人判断をしていました。

チャン子が出て行ったことを含め、これまでに義母にかかるストレスは相当のものだったのは理解していましたから、恐らくこれらが原因となって病気になったのかな?と思いました。

とりあえず、自宅療養ということですが、義母が頻繁に訴える「また声が聞こえた!」という声と、怖がる顔を見続けなければならないのかと思うと、急に浮かない気持ちになりました。

義母、ふたたび突然の来訪

義母がふたたび来訪しました。今度はいったい何があったのだろうか?

「もう実家は怖くて居られない。お願いだからこちらで面倒をみてもらえないだろうか」

冗談ではないことは、義母の話す顔や目の動きをみてすぐに理解できました。これはかなり重症だろうなと。病院へ連れていかなければならないと思ってはいましたが、まさかこれほど急激に悪化するとは思っていなかったので、ちょっとした動揺もありました。

義母にはとりあえず我が家で数日過ごしてもらうことに。その間に病院へ連れて行く段取りをして、実家から荷物なども持ってきたり、いろいろと準備をしなければなりません。我が家は2馬力夫婦ですから、こういう時本当に大変で、お互いのスケジュール調整をすることになります。幸い私がフリーランスですから超柔軟に対応できます。持っている仕事は、それこそ隙間に入れてやってしまえば良いので。こういう仕事をやっていて良かったなと思う瞬間。

余談ですが、義母はお願いだからこちらに泊まらせてと言う割に、ほぼお泊まりに必要なもの、たとえば着替えや自分で使うものなど一切荷物を持たずにやってきたのです。そういうところを見ても、相当追い詰められた状態だろうなと感じました。

義母の家で“怪奇現象”を調査してきた結果

実家の状況を確認しに行きました。まずは家の外と隣のアパートからチェック。家の様子は全く何も変わっていない。雲の巣や雑草が私の背丈ほどに生い茂っている状態。普段ならこまめに庭の手入れもしていたと思いますが、これには少し違和感も覚えました。よほど余裕がないのかな?と。

隣のアパートですが、義母の言うような”拡声器”、私が判断するに“スピーカー”のことだと思いますが、そういう類のものはアパートのどこを探しても見つかりませんでした。当然そうだろうなと。

この時まで、私の頭の片隅には義母の様子や言動への疑念がありました。話や様子がいつもと違うし、話の内容も破綻していること。もしかして精神的なストレスなど、何かそちらの病気なのではないか?ということです。それが確信に変わったのはこの時でした。

「おかあさん、特に変なところはないと思うよ。音だって聞こえないし」

義母にこう話をしてみたところ、返事が返ってきました

「そうかしら?ほら、聞こえない?ゴーンゴーンって」

「ほら、私の名前を叫んで「お前が悪いー!」って叫んでるでしょ?」

「怖いわ〜」


妻と顔を見合わせた瞬間、二人とも何か言いたかったのですが、阿吽の呼吸でこの場をおさめることに終始しました。この時、義母が壊れそうな雰囲気だったからでしょう。

「おかあさん。一旦落ち着きましょう。とにかく何もないよ」

「ところでちゃん子はどこに居るの?いつものお出かけ?」

「え?ちゃん子は今居ないわよ。どこに居るのかしら?」

「え〜〜〜?いつから居ないの?」

「夏頃だったかな・・・」

「どこに行くのかも言わずに出てったの?」


「そう。私と口論ばかりしていて。嫌になったんでしょきっと。たぶん旦那(以下わかめ君)のところに行ったのかな〜」

「私にここ出て行け〜!って包丁をつきつけてきたり、すれ違う時にドン!と押してきたりして、わたし倒れそうになったりしたからさ。そういうことしてたんだよ、ちゃん子は」

「へ〜。ずいぶんだね」

「ところでおかあさん。まだ声とか音聞こえる?」

「あれ?今は聞こえない。あ〜良かった。今までずっと聞こえていたんだけどね。どく君のおかげだね。ありがとうね」

「まずは落ち着こうね。音は聞こえないから、安心して」


「わかった。でも夜になるとまたやり始めるからね。太鼓ドンドンと。玄関にたってわたしの名前を叫んで「出てこい!」とか言うからさ。怖いのよ」

「安心して」

「わかった」

衝撃的な展開でした。ちゃん子とわかめ君と義母についての騒動は、長い話になるのでまた機会を改めて書いてみます。

それにしても義母。やばいな!と瞬時に気が付きました。これは大事になりそうだなと。不安な要素が見えすぎて気持ちが暗くなってしまいました。



義母の言う“怪奇現象”について

昨日、義母から相談された例の「隣人がドンドン太鼓を叩く」とか、「自宅の柱がバリバリバリバリ〜」って鳴るという、いわゆる怪奇現象を調べてきました

先日、義母が帰宅した後、当然妻とはこの話について私たちなりに考察していました。

「おかあさんの話どう思う?」

「俺的には、俄かに信じがたいというのが率直な感想かな」

「私も同じ」

「あんなに難聴ひどくなっているのにね。耳元で大声出しても聞こえていない人が、そんな音聞こえるものなのかな〜。とかさ。いろいろ勘繰ってしまった」

「だいたいちゃん子(妹です)はどうしているの?」

「たまに家出しているから、またダンナの実家にでも行ってるんじゃないの?」

「おかあさんを置き去りで?」

「関係ないって感じなんじゃないの?」

「いつもながら無責任だよな、本当に」

「とにかく。一度行ってみるしかないね」


ということになりました。

介護の幕開け

突然、義母から相談がありました。ちょうどお昼前のこと。滅多に来ることがない義母が我が家へ訪ねてきました。

「隣のアパートの若夫婦が、夜中に太鼓をドンドン鳴らしてうるさいから困っている。家の中の柱もバリバリバリーって鳴るくらい振動がして・・・」

要約するとこんな話でした。もっと長い話でした。義母の話に入る前に簡単に説明します。義母が住んでいるのは妻の実家。戸建てで築60年以上。断熱材なんて入ってないようなものだと思うので、冬は外よりも格段に寒いというような家です。

夜中に隣のアパートから太鼓???義母の話は、にわかに信じがたい話。同席していた妻と一瞬顔を見合わ「・・・」となってしまいました。

「四六時中そんな感じなの?」

「いや、夜中だけ。近所の交番にも通報したし、隣のアパートの大家にも電話をしたけど、どちらとも「そんな事実はないと思う」て言うんだよ・・・」


話をよくよく聞くと騒音が耳から離れず、怖くて眠れない日が続いているとのことでした。それは大変だろうから、近々一度我々が行って確認してみるからということで落ち着かせ、その日はそのまま実家へ帰ってもらうことになりました。