義母をめぐって妻との不和

義母の介護をめぐって、妻との不和があります。原因が義母の問題行動です。妻側の言い分としては

  • 病気なので、仕方ない部分がある
  • 元々の癖や生活習慣なので、簡単に変えられない部分がある
  • ある程度大目に見てあげる必要がある

このような感じだと思います。私はこの言い分も理解はできます。ただし、これは実際に体感していない人の理想論のように思います。妻も今まで生きてきて、こういう理想だけではどうにもならない現実的な負担やストレスを違う場面で経験はしてきているはず。なぜ実際に介護を担っている人の立場に寄り添う意見を入れないのだろうかと、私としてはこういう言い分に違和感を覚えます。

私の言い分はこうです

  • 病気なので仕方ない部分があるのは理解している
  • 元々の癖や、生活習慣は簡単に変えられないとは思うけど、変えようとする努力はできると思う。
  • ある程度大目にみてあげて、それでも困っているから愚痴をこぼしている

です。私も「老人なんだから、そんなものだよね」とか「介護って大変だから、そういうものだよね」という綺麗事があるのは承知しています。ただ今の私にそれを受け入れる余裕などありません。毎日毎日、繰り返される問題行動。何度言ってもやめない癖、決定的な衛生観念の違い、こうした問題が出る度に義母に“任せる”ことができなくなって、その負担がひとつづつ増えていく自分。これをストレスと言わずしてなんと言うのだろうかと。

妻に義母の話をしていると、顔が曇ってきます。なぜかと聞いてみると

「お母さんが失敗している話ばかり聞くと、まるで悪口を言われている気がして、自分も否定された気になる」

だそうです。どうやったらそこまで飛躍するのか私は全く理解できませんが、妻の言い分によればそうなんだそうです。私がよく言う失敗した話というのは

「今日、飴をこっそり買って全部食べ切ったんだよ。先生から何度も食事の注意されているのに、どうすれば良いのかね?困った人だよね」

この程度の話です。これ悪口なのでしょうかね?私の感覚だとこれはただ起きた事実を伝えたまでの話です。困った人だねというのが悪口とも取れますが、そこはこちらの気持ちも察して欲しいというのが私の主張。そしてこの相談に妻がもし「それはダメだね。私からも注意しておくね」の一言があれば、私も納得する部分があるでしょう。

妻はこういう話になると「頭の病気もあるから、仕方ないんじゃない?第一言っても無駄だし・・・」こういう解釈をします。結局解決すら諦めなきゃならないってことですよね。で!これを対処するの誰?ってなるのです。自分は直接見てないからそういう諦めのようなことを平気で言えるんだろうと。あなたの立ち位置間違ってない?と思います。

こういうことが積み重なって、不和を抱えています。根が深い問題になってきています。

自分の親の面倒を見ているパートナーの気持ちを理解できないのだろうか?寄り添うって言葉を知らないのだろうか?こういう気持ちがずっと消えません。一言でも、その場を取り繕う嘘でも構わないから、「そうだよね、大変だよね」の同調の言葉が欲しいです。